細谷紀彰の音楽遍歴(高校卒業まで)

さすがにいきなりスイーツブログはまずいと思うので(苦笑)本日は思いつく限りの自分の音楽遍歴を書こうと思います。

思いの外長くなりましたので、お時間のある時にでもお読みいただければ。

 

 

幼少期

 

最初に始めた楽器はチェロでした。始めたのはたぶん3歳くらいから。

簡単なバッハの曲なども弾いていたらしいです。とは言え、録画されてるビデオを見返したらとても聞けるものではなかったですけど。苦笑

この頃からへ音記号を読んでいた事になるんですね。

始めたのも早かったですが、辞めるのも早く、小学校に上がってすぐにチェロは辞めてしまっていました。もしチェロを続けていたら今とは違う人生を送っていたかもしれませんね。

 

 

小学校

 

この頃は特に楽器をやっておらず、専らJ-POPを聞くのみでした。

そして、音楽というよりは美術に情熱を燃やしており、この頃は将来本気で画家になりたかったです。かと言って、画塾に通っていたわけでもなく、デッサンを少し当時の学校の先生から教わっていたくらいですが。

もし本格的に美術を始めていたら今とは違う人生を送っていたかもしれませんね。

当時の僕のアイドルはZARD。今でも同窓会に行って「好きだったよね?」と聞かれます。

この頃からヴィジュアル系全盛の時代でしたので、LUNA SEA、X JAPANも小学校高学年で聞いていました。

しかし、今思い返せばよくぞあんな歌詞やこんな歌詞を小学生ながら歌っていたよなぁ。

あと、何故か卒業生のコンサートで大太鼓(?)を任されました。

 

 

中学校

 

相変わらず中1、中2時は音楽を聞くのみでした。が、何故かヴィヴァルディとドビュッシーにハマって、部屋でよくバロックと印象派を聞いていた時代がありました。と言っても、曲を流していただけで、あまり曲名は一致しません。笑

 

中学2年生〜3年生の春休みで、ようやくベースを始めます。

中学校に上がった当時から、ギターを弾いてみたいなと思いつつ、始めるまでには至らずにバンドに誘われたのが中2の終わり頃でした。

当時バンドにギタリストが他に2人もいて、楽器を始める選択肢がドラムかベースしかなく、本当はドラムがやりたかったのですが「ドラムは練習出来ないから」という理由で父に却下されていました。ベースを始めたのは完全に消去法です。

最初はベースとはどういうものかよく分かっていなかったのですが、その後にLUNA SEAのROSIERを「ベースを聞く」観点で改めて聞き、Jのプレイスタイルに衝撃を受けました。音のセクシーさ、ステージでの立ち姿といい、Jは僕の最初のベース・ヒーローです。

 

始めて楽器を購入して家に届いたのが、忘れもしない1997年3月25日(友人の誕生日だったので、とても良く覚えてます)。中学3年生に上がる直前でした。

そこからは、受験勉強も中2の誕生日に買ってもらったプレステも全てそっちのけ。学校にも「バンやろ」(と言って伝わる世代がどこまでいるか。。。)を持ち込んで読みふける始末。

最初にコピーした曲は、シャ乱QのNICE BOYでした(Jに衝撃を受けた割に最初にコピーしたのはLUNA SEAじゃない!)。

楽器を始めてからは、LUNA SEA、X JAPAN、L'Arc~en~Ciel等をコピーする日々でした(GLAYは何故かポップ過ぎて当時の僕にはそこまででした)。

 

因みに、ロック/ヴィジュアル系をコピーしていたにも関わらず、当時から僕はほぼ指弾きのみでした。スラップもこの頃は練習し始めていたので、今よりもスラップは上手かったかもしれないです。笑

当時はベースも太ももくらいの位置で弾いていたので、スラップもいわゆるフリー・スタイル。今思うとよく弾けたなぁ。

 

しかし、ここでもしドラムを始めていたら今とは全く違う人生になっていたと思います。そもそもドラムだったらこんなに続いていたかも分からないですしね。人生って不思議です。

 

 

高校生

 

入学した高校で、部活でもベースを弾きたいという理由で吹奏楽部に入部(当時の学校には軽音部がなかったので)。しかし、部員が少ないから管が必要、との事で、チューバかトロンボーンの二択を迫られ、高校三年間は部活でトロンボーンを吹いていました。

が、少し後に入部してきた友達がベースを弾いていたので、上手く言いくるめられてパートの足りない所に回されただけの気もしますが。とは言え、ここで管楽器の感覚を少しでも味わえたのは、今振り返ってみると大きな財産でした。(そしてトロンボーンも楽譜はヘ音記号。低音部の楽器に本当に縁がありますね)

2年の終わりから引退までは部長も任され、楽しい部活でした。

 

それ以外はひたすらにバンドとベースの日々で、当時から頑張ってオリジナルも作っていました。

最初にライブに出演したのは高校一年生の春休み。L'ArcやDEEP PURPLE等を演奏した気がします。そう言えばLUNA SEAはライブで弾いた事はほとんどなかった気が。。。

高校二年生の途中から、バンドもほぼオリジナルに切り替えていました。当時のバンドのメイン・コンポーザーはギタリストで、今思っても彼には絶対的は作曲スタイルがあり、当時あの手この手で自分の曲をバンドで使ってもらおうとロック/ポップの範疇で色々なスタイルを試していた時期でもありました。けど、最終的に彼の曲が確かにカッコ良くて、悔しい思いをしていたのを覚えています(笑)

 

この頃、同級生のライバルバンドと切磋琢磨しており、そのバンドのベーシストとTEENS MUSIC FESTIVALのベスト・ベーシスト賞を分け合う等(自分が受賞出来なかった時はとても悔しくて、それから毎日ひたすら練習し続けていました)音楽仲間にも恵まれた、まさに青春。

コーラスや、ステージパフォーマンスも頑張っていた頃で、高校生ながら実力派バンドとして大人に可愛がられたバンドでした。

 

吹奏楽部の先輩から勧められて洋楽を聞くようになったのもこの頃からです。

最初に勧めてもらったのがDEEP PURPLE。LED ZEPPELINも聞きましたが、そこから僕はずっとパープル派でした。バンドでもHIGHWAY STARをコピーしたり(オルガンソロを頑張ってベースでコピーしたりもしていました)多大な影響を受けました。

そこからベーシストなのにヘヴィーなギターが大好きになり、高校2年生くらいでMETALLICAに辿り着き、一時期イングウェイなど、ほぼメタルしか聞いていない時期もありました。

 

高校の頃のベース・ヒーローは何と言ってもBilly Sheehan。3フィンガーを練習したり、Addicted To That Rushのタッピングをコピーしたり、教則ビデオを購入したりしながら彼のようなプレイが出来るように必死でした。

とは言え、ストラップはまだ長いまま。ベースも太もも〜腰くらいの位置で弾いていました。Billy Sheehanが弾くような事を俺はストラップが長いまま弾いてやる!と本気で思っていた頃でした。当時は「30歳を過ぎたらベースの位置を高くして渋く弾く」などと生意気な事を思っておりました。この頃の自分に今の自分を見せてやりたい。笑

 

高校は普通科の高校でしたが、二年生の進級時に留学を見越して国際教養科(要は英語の授業が多いクラス)を選択。しかし、ベースを始めて2年くらいでバークリーを目指すなんて、何て無謀だったんでしょう。

ですので、僕は日本の所謂受験戦争を全く経験してきませんでした。逆を言えば日本の大学のキャンパスライフを知らないので、日本の大学生活って今でも少し憧れます。

 

バンドと同時にバークリー留学も視野に入れていたので、高校3年生くらいからジャズのレッスンもバークリー卒業生のギタリストに師事していました。とは言え、この頃はレッスン以外でジャズを弾いた事もなく、知識として頭の中に入っている程度でした。

当時から音楽理論は好きだったので、自分で理論書を買って読み進めてはいましたが、分かるような、分からないような、という線を彷徨っていました。

 

この頃、Jacoも「ジャコ・パストリアスの肖像」と「Word of Mouth」と聞いておりましたが、当時は良さが全く分からずでした。勿論今聞いたら聞く度に新たな発見があるくらい凄いのですが、この頃はまだ音楽的にも未熟だったのだと思います(今が成熟しているとも思っていないので、これからも精進あるのみですが)。

 

高校卒業時に、当時のバンド仲間で地元のライブハウスを貸し切って卒業ライブも行いました。あれは感動的だった。

 

 

高校卒業後〜バークリー入学まで

 

僕が高校を卒業したのは2001年の3月。バークリーに入学したのが2002年の1月。この空白の8ヶ月余りも、もちろんバンド活動をしていました。

当時はピアノのレッスンにも通っておりましたが、半年足らずで挫折。因みに高校時代、ギターも触っておりましたが、Fは押さえられるのにGが弾けず、これまた挫折。

 

この時期にDream Theaterに出会っており、Images and WordsとMetropolis part 2 Scenes from a Memoryはすり切れるほど聞きました(CDですが。笑)

そこからプログレにも手を出し始め、YESやKing Crimsonなども聞き始めていました。同じプログレでも、EL&PやPink Floydには行かなかったのが不思議です。

バンドの曲にもいきなり変拍子が増えました。分かりやすい!笑

当時はバンドでもよくタッピングをしていたので、チャップマン・スティックに興味が湧いたのもこの頃でした。結局スティックは始めるまでに至らなかったのですが。

 

大袈裟でなく、John Myungがいなければ今の僕は6弦を弾いてないです。それくらい、Dream Theaterには音楽的にもプレイスタイル的にも影響を受けました。当時はまだ4弦ベースを弾いておりましたが、この頃からいつかは6弦にスイッチしてやる、と虎視眈々と狙っておりました。

 

夏のTEENS MUSIC FESTIVAL静岡予選では二年連続でベスト・ベーシスト賞を受賞。天狗になっていた頃ですね。バークリー入学後にその自信を思い切り打ち砕かれる事になるのですが。苦笑

 

 

思った以上に長くなったので、バークリー以降はまた次回。しかし、ここまでほとんどジャズが出てこない。笑

 

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♪Learning To Live / Dream Theater

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Noriaki Hosoya

Born in Japan, studied at Berklee College of Music Boston, U.S. and has been active in Europe, now lives in Tokyo, Japan.


Playing Jazz to Funk, Pop to Latin, elastically fit with any kind of music with keeping his identity as a bass player.


"His playing is very sophisticated; solid & tight and really melodic at the same time. He lets the bass singing"

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