6月初旬で、僕が日本に完全帰国して丸3年が経ちました。
これから僕の東京生活4年目が始まるのですが、そのタイミングで僕はまたドイツ・ベルリンに来ております。笑
ベルリンには2010年から2016年まで、合計約6年間住んでいたので、当時と比べて多少の違いはあれど、自分が今ベルリンにいる事に全く違和感がありません。英語もドイツ語も在住時と変わらずに喋れている感覚ですし(どちらの言語も忘れていない自分に拍手!)むしろこんなに自然だと、未だにベルリンに住んでいると錯覚してしまいそうです。自分が実際にどこに住んでいるのか、そしてどこにいるのか分からなくなるような、まさにParallel Reality(平行した現実世界)!笑
それもそのはず。
高校を卒業して以来、
ボストンに4年半、
ドイツに行く前に東京で4年、
ベルリンで6年、
そして今、2度目の東京で3年と過ごしてきました。
住んだ場所の合計の長さでは、東京が7年になるのでベルリンを超えましたが、継続して住み続けた場所では、まだまだベルリンの6年が最長の場所です。
数えてみたら、完全帰国してからの3年間のうち、今回の一時渡欧とトルコでのジャズフェス出演を含めて、6回ヨーロッパと日本を行き来しておりました。平均すると、半年に1回のなかなかのハイペース。
それに加え、最近はドイツからからFalk Bonitz Trio、ハンガリーとアメリカからSwansongの日本ツアーも出来るようになってきており、日本に帰ってきて以来ずっと念願だったヨーロッパの友達を日本に呼んでの演奏も、少しずつですが実現出来るようになってきております。
僕が日本に帰ってきた事に意義があるとすれば、きっとこのような事をするためなんだろうなぁ、と最近強く思います。ヨーロッパに住んでいた頃は、僕の活動の幅もEU圏内だけだったのが、日本を拠点にする事でEUだけでなく、アジア(今の所は日本だけですが。笑)にも皆の活動の幅を広げていけるのが本当に嬉しいです。
そんな、ある意味で節目となるようなタイミングでヨーロッパにいて、しかも偶然が重なって、日本に帰国する前に住んでいたアパートの同じ部屋に滞在しているという事もあり、様々な事を考えさせられております。
長らくご無沙汰となっているブログでしたが、今回はベルリン滞在2週間、帰国まであと1週間という今の時点での僕の思いを、なるべく文章としてまとめて書き記しておきたいと思います。
注)以下の文章は僕の主観を元に書いております。事実と異なる事があるかもしれませんし、異なる意見をお持ちの方もいると思います。あくまで一個人の意見だという事を念頭に置いて読み進めて下さい。
僕が日本での生活の適応に苦しんでいるのは秘密でも何でもありませんが(笑)正直な所、以前の渡欧から1年間という期間を置いて改めてヨーロッパ(ベルリン)にいると、気持ちも体も軽いんですよね。
日本、特に東京では、常に人の目を気にしなければいけない、礼儀正しく振る舞わなければいけないというプレッシャーを常に感じており、行動の基準に「〜しなければならない」「〜してはいけない」という事が常に頭の中のどこかにあって、日本人社会の規則、規律に則った行動をしなければいけない、という(大袈裟に言うと)社会的圧力の中で生活しておりました。
それと比較して、ヨーロッパがアナーキーとは決して言いませんが、特にベルリンという街の雰囲気が他のEU内の大都市圏と比較しても独特で、ドイツ国内ではいちばん大きな都市にも関わらず、空気が緩いというか、良くも悪くも他人の事を気にしない、放っておいてくれる、という街全体の雰囲気が居心地を良くさせているのだと思います。
以下に例を挙げていきます(僕の主観ですので、全てが正しいとは言えませんが)。
例えば言語。
日本語には、数えられないくらいの敬語のレベルがあって、話す相手によって敬語の種類(どこまでの尊敬語・謙譲語を使うか、またどこまでくだけて話すか)を使い分ける。
英語は、一応尊敬語はあるけど、友人同士、仕事仲間などのほとんどの場合は普通に話す(いわゆる「お偉いさん」とか権威のある人と話す時は別)。
ドイツ語は、敬語とタメ語(敬語でないくだけた話し方)がはっきりしていて、誰に何語で話すかもはっきりと区別される。
例えば服装。
日本では、自分が何を着たいかよりも、TPOにより合わせたり、周りにどう見られるか、他人に対しての自分の見え方をすごく気にしている。
ドイツ(ベルリン)では、他人に対して自分がどう見られるかよりも、自分が何を着たいか、どうしたいかということを優先的に考えている。
(因みに僕自身も、やはり日本にいる時の方が、すごくオシャレではないかもしれないけど服装は気をつけています。ドイツは常にTシャツ+ジーンズで周りも僕自身もOK!)
これだけを見てみても、日本って「自分が周りにとってどう見られているか」という事にとても敏感で、それが故に社会全体から”behaveする”事を求められている(日本語の言い回しが分からない!汗)。そして、周りの評価に縛られて、がんじがらめになって息苦しくなっているような気がします。
それに対してドイツ(ベルリン)は、まずは自分が何がしたいか、どうしたいかという個人の意志が優先/尊重され、友人の言葉を借りると「より本能に忠実」な社会な気がしています。
日本のyahooニュースのおすすめ欄に「男子ウケする激モテコーデ」的な記事がたくさん出てくるのって、いかに他人に対しての自分の評価が重要か、という事の象徴的な気がするんですよね。少なくとも僕はドイツのニュースではそういう記事は見かけた事がありません(僕が知らないだけ、という可能性も捨てきれませんが)。
ただ面白いのは、日本の場合は外国人(日本人以外)にとっては上記の事が全て特例とされ、misbehaveしても「あの人は外国人だからしょうがないよね」でOKとなってしまう事(それが故に、本当の意味で外国人が日本社会の一員だと認められるまでに、おそらく他国と比べても相当な時間がかかってしまうという事と表裏一体ではありますが……)。
僕の場合は、日本で生まれて日本で育ったにも関わらず、合計10年以上の国外生活で得た感性が、いわゆる平均的日本人の感覚とズレがあるように感じてしまい、更に外国人にも見えないので、周りから例外だとも思ってもらえない!笑
母国語が日本語で、いちばん自由に喋れる言語も絶対に日本語だというのも間違いはないのですが、特に初対面の人と日本語で話す時にどうやって話したらよいのか分からない、どのレベルの敬語を使うべきか分からないというコミュニケーションの問題を、帰国してからしばらくはずっと抱えていました。
それに比べると、英語とドイツ語の方が、僕の感覚的には色々な人とフランクに話せて友達になりやすく、ジョーク等も交わしやすいです。日本人なのに!
3年が経った所の日本での生活は「日本語でのコミュニケーションに、そして日本社会のストレスレベルに慣れてきた」といった所です。適応出来ているかどうかは……怪しい。笑
お役所仕事の適当さに代表されるようなドイツの嫌な部分もたくさん見てきているので、ドイツ社会の全てを賞賛するつもりは毛頭ありませんし、ヨーロッパの個人主義な故のイライラも嫌という程経験しております。
国によっての違いもあるのかもしれませんが、少なくとも日々の生活レベルでは、スーパーのレジの店員さんやバスで隣に乗り合わせた人と目が合った時に微笑み合ったり、コーヒーについてくるオマケのクッキーを子供にとられた時に父親が「そんな事しちゃいけないよ、謝ってきなさい、そしてもらったんだからありがとう、って言ってきなさい」って言い合える(←これは実話)ヨーロッパの方が、圧倒的にストレスフリーです。特にベルリンは物価も安いですしね。
とは言え、音楽活動となると少し話は違ってくるのかな、というのも偽らざる感想であり、帰国してから3年でコネクションも増えて、帰国前の自分が考えもしなかったような事が日本で出来ているのも事実です。
実際の所、ヨーロッパではリーダーアルバム「Noriaki Hosoya European Trio」のレコーディングこそ出来たものの、それ以外で自分名義のライブは出来なかったので、日本で「Noriaki Hosoya Far East Quartet」が継続的に演奏出来ており、有り難い事に好評だという事が日本での音楽活動の充実さを象徴していると思います。
それだけ関わらず、高校生だった頃の自分がライブを見に行ってサインをもらっていたような人達と仲良くさせてもらったり、関わらせて頂いている様々なプロジェクトでも重要な立場を任されていて信頼してくれている、という実感もあったりと、アーティストとしてのキャリアを考えると、3年前と比べて前進しているな、と心から思います。
ベルリンにいた頃は、勿論ジャズも演奏しておりましたが、お金を稼ぐとなると、パーティーギグなど、所謂お仕事演奏がメインとなってしまい、自分が40歳、50歳になった時に同じ事をやっていたくない、と思った事や、ジャズシーンの平均レベル(あくまで平均、という所がポイントです)が東京の方がベルリンと比べて高い、という事も帰国を決めた大きな要素の一つでした。まぁ、そういうお仕事ライブを月に3〜4本演奏するだけで暮らしていける、という意味では楽ではありましたが……。
また、そんな状況なので、音楽シーンの中におけるプレッシャーレベルは圧倒的に緩いです。言葉は悪いですが、楽をして暮らしていける状況なので、シーンの中での競争などはあまりなく、それが故に突出して上手い人はいれど、平均レベルが上がらない要因でもあるのかな、と思います(裏付けはないですが、この辺りは街の雰囲気とも呼応している感じがして面白いです)。
ですので、ベルリンにいると自分自身で自分をプッシュしていかないと状況に満足してしまって先へ進めない、というリスクは多いにあると思います。
また、今回のツアーで改めて思ったのは、日本の演奏環境の状況は本当に恵まれている、という事です。
ウクライナ、Kamiankaという街でのフェスでは、クラシックの演奏が主だったという事もあり、ベースアンプがない中、DI直挿し+サウンドチェック20分ほど、という過酷な状況の中での演奏だったり、アンプがあっても(好みもありますが、僕にとっては)あまり良くないアンプの事がほとんどです。
もちろん、プロなのでそんな中でも結果は出さないといけないのですが、日本と比べての環境は大変と言えます(この件は、忘れないうちに時間を割いてちゃんと書きたいと思います)。
ジャズクラブにしても、日本のように毎日ライブがあるお店は稀で、良くて1週間のうちに3〜4回しかライブがないお店がほとんどです。悪いと、週1、もしくは月1だったり。
それに比べると、日本はどこのお店に行ってもバックラインは一通り揃っていますし、ほぼ毎日ライブがありますし、好みの問題は勿論あれど、酷いアンプに当たる確率も低いです。
そして何より、ジャズに限ればお店の数も違いますしね。演奏出来るvenueの数は、圧倒的に日本の方が多いです。それこそ本当に、圧倒的に。
とは言え演奏となると、残念ながら日本では、前述した社会や他人に対して自分がどう見られるか、という事と同じように「他人や共演者に対して自分の演奏がどう見えるか」というようなマインドセットが見え隠れする演奏を見る事も少なくありません。
それがヨーロッパだと、他人がどう思うか、というよりも、より「自分がどう演奏したいか」を重視した本能的な演奏が多い気がします。
僕の場合は、ベーシストという立場上、他の楽器ほどグイグイ弾く事は少ないと思いますが、自分のアンサンブルの中での最優先順位が「どうやってアンサンブルを安定させるか、演奏の中の太い柱となって共演者を安心させられるか」という事にあるので、それを重視している、という意味では、今後変わる可能性はありますが、今の所はこのスタイルで良しとします。笑(これについてはこちらの記事をご参照下さい)
日本では上記マインドセットのため、アンサンブルが良くも悪くもまとまりやすいですし、逆にヨーロッパでは本番中にも大事故が起きる事もありますが(笑)どちらが一緒に演奏していて楽しいかというと、やはり「自分」を持っている人と一緒に演奏する法が楽しいですよね。
There is no perfect place(完璧な場所なんて存在しない)とも言う通り、どちらも一長一短だという事は僕自身もよく理解しているつもりです。
完璧な場所がないなら、自分がより幸せを感じられるように考え方を変えたり、より幸せになれる場所に行けば良い、という事でもあると思います。
住む国や場所に影響されずに、どこにいても自分自身を貫き通せる人であれば、もしかしたら僕のように悩まないのかもしれません。
残念ながら、僕はそんなに強い人間ではないので、自分が今いる国、場所、話している言葉など、環境に左右されてしまいます。
僕自身が日本国内/海外どちらの方が幸せを感じられるかとしたら、もしかしたら僕は日本ではないのかもしれない。
もっと言えば、単純に海外に住んでいる自分、つまりは多様性の中で多言語を使って一個人として生きている、という事実が好きなだけかもしれません。笑
音楽のキャリアの追求、発展以外にも、どこにいたら自分自身より幸せに感じられるか、という事に改めて向き合えた事も、今回の渡欧はより価値のあるものになったと思います。
大変長くなりましたし、まとまっているかどうかも怪しいですが、現時点での僕の思いを長々と書き連ねてみました。
今後これが変わる可能性もありますし、変わらない可能性もあります。ただ、今の僕にとって、今感じているこの思いを書き出して整理する事は重要だったのかな、と思います。
1年前くらいからヘブライ語も始め(勉強していたアプリのサブスクリプションが切れてしまったので、またやり直さねば……)意識が外へ外へと向いていく時なのかもしれません。
ただ、先日行った占いでは「1年のうち10ヶ月海外にいたとしても、2ヶ月はちゃんと日本に帰ってきて国内にもベースがあった方が良い」とも言われたので、日本から完全に離れる、という事にはならないと思いますけどね。笑
音楽も人生も、自分に正直に生きていきたいと思います。
長文をお読み頂きありがとうございました。
まずはやはりユダヤ人か……。
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♪Haifa / Noriaki Hosoya European Trio